具象と抽象間を上り下りする数学思考の教育を
      − 実りある改革論議・学力回復取組みのために −

今、時間削減という至上命令が、従来の教材の「精選」より一層の「厳選」を 要求している。この達成には、教育内容の単なる量的縮小では不十分で、質的大 転換を伴った縮小でなければ数学教育は混迷の度を深めるだけだろう。ところが、 現場における対処は旧態依然たるもので、教育機会や教育達成の不平等を是認す る現在主流の数学(教育)観から容易に抜け出せない状況にある。 本稿は、つぎの3つの視点から、新たな数学(教育)観を模索し、その立場か ら、生徒の実態に即し、柔軟にカリキュラムを組んだ改革の試みを報告したもの である。 第一に、「数学の教育が立ち向かわねばならない真の問題は、厳密性の問題で はなくて、「感覚=意味」の構成の問題であり、数学的対象の『存在論的正当化』 の問題である」(ルネ・トム)というような世界の数理科学者たちの数学(教育) 観に学んだ数学教育の模索。 第二に、学ぶ者個々人の関与・参加を組織する数学教育の模索と、「知識の微 量な増加から得られる効用(満足度)は、それ以前にその人が保有していた知識 量に反比例する」という教材と効用の相関実証の試み。 最後に、教育における学習=教授過程を、心理学や科学哲学の独壇場であった 「人間知」解明の重要な臨床場と位置づけ、数学概念並びに数学手法を獲得する 過程を明らかにすることを模索。 キーワード:数学の学力規定 ふたつの「低学力」 具象と抽象間の上り下り   こころにひびく 教育モデル シミュレーション・モデル方式の 数学(教育) 手でつくり、手で学ぶ数学 1】プロ野球日本シリーズを「数学する」 1.パスカルの三角形という数学ツール  下左の三角形状に並んでいる数列は、パスカルの三角形と言われている。  右端に書いてあるのは0段目、1段目、2段目、・・・・を示す。両端以外の各 数は、一段上の左上の数と右上の数の和に等しい。各行の数は中央に関して左右 対象である。 このパスカルの三角形の数列がどうして出来上がるかは本稿後段参照。ここで は主目的の高校確率(一部)を教える傍ら、学力回復の一試みとして、プロ野球 日本シリーズを「数学する」ことに挑戦できる数学ツールとして生徒たちと行う 授業を概略再現する。                  段      段の数列の計   1 ・・・・・・・・・0        1      1  1 ・・・・・・・・ 1         2      1 2 1  ・・・・・・・ 2         4     1 3  3 1   ・・・・・ 3         8    1  4 6 4  1   ・・・・ 4         16   1 5 10 10 5  1 ・・・ 5 32 1 6 15 20 15 6  1 ・・ 6         64 2.第1試合がはじまる前の勝敗分析と確率計算  ふたつのチームが優勝をかけて試合をする日本シリーズは7試合で決着がつく ので、どちらかが4戦先勝で勝ちとなりこれ以上の試合は行わない。ところがパ スカルの三角形は無限に試合が続くことを意味するという違いがある。この違い はパスカルの三角形と比較したとき、その左下と右下の隅がいらなくなった四角 形で考えれば良いことになる(下図左)。  下図右の勝敗表は、毎日の試合によって起こりうるすべての状況を表わしてい る。  ベイスターズ ライオンズ        可能性ある勝敗表         1                     0:0       1   1                  1:0 0:1      1   2  1              2:0 1:1 0:2    1  3  3  1             3:0 2:1 1:2 0:3   1  4 6 4  1 4:0 3:1 2:2 1:3 0:4    5  10 10  5  4:1 3:2 2:3 1:4      15 20 15      4:2 3:3 2:4      35 35         4:3 3:4      70           4:4  このように対戦前の経過の可能性は全部で70通りあることがわかる。しかし どちらかが4勝すればシリーズは終わるので、4:2や3:4などの、一方が4 の勝敗は最終結果を意味し、特に4:4は架空のものということになる。  これでプロ野球日本シリーズの確率計算の枠組みはできたことになる。勝敗表 の各々に対応する確率計算を生徒たちは下左図のように容易く行う。しかし勝敗 の一方が4の最終結果を表す勝敗表に対応する確率計算は多くが躓き注意を要す る。その確率、例えば4:2で勝負が      可能性の確率計算     つく場合の確率計算はパスカルの三角         1         形を機械的に適用する場合 15/64 に       1/2   1/2 なるが、日本シリーズの確率計算では      1/4   2/4   1/4    10/64になる。    1/8  3/8  3/8 1/8   なぜなら、その確率計算では、どちら   1/16 4/16 6/16 4/16 1/16  かのチームが4回勝てばシリーズが終    4/32 10/32 10/32 4/32   わってしまうので、4:0で勝負がつ      10/64 20/64 10/64   く1通りと、4:1で勝負がつく4通       20/128 20/128      りの計5通りの場合を勘定に入れては ならないので分子が5少なくなって 10/64 になるからです。同様に、最終結果を表す、右下と左下の確率の分子は、 パスカルの三角形の対応する場所に書かれる確率の分子とは違ってくる。  こうして求められた、左下の総和    1/16+4/32+10/64+20/128=64/128=1/2 は左側チームの勝つ確率、同様に、右下は右側チームの勝つ確率、そしてその和、 1はどちらかが優勝することを意味することなどを知る。 3.1戦終了毎に変更を要する勝敗表と確率計算 しかし、この計算は第1試合がはじまる前までしか通用しないもので、第1戦 の勝敗が決まるとまた違った計算をしなければならなくなる。 例えば、第1試合はベイスターズが勝った。そうすればベイスターズが第2試合 に勝ってシリーズに勝つ確率は大きくなるのでライオンズ0対ベイスターズ1の ところを確率1としてもう一度計算しなおさなければならない。(ライオンズ: ベイスターズ)と読む。   ベイスターズ1勝後の可能性ある勝敗表   ベイスターズ1勝後の確率計算                          ・ 0:0                ・  1         ・ 1:0 0:1 ・ 1/2  1/2       ・ 2:0 1:1 0:2 ・ 1/4  2/4  1/4           ・ 3:0 2:1 1:2 0:3 ・ 1/8 3/8  3/8 1/8          4:0 3:1 2:2 1:3 1/16 4/16 6/16 3/16         4:1 3:2 2:3           4/32 10/32 6/32          4:2 3:3        10/64 10/64                    これは第1試合がはじまる前までの勝敗表を右下へ一つ移動しただけです。こ こでも、どちらかが4勝すればシリーズは終わりますので、4:0や4:2など 一方が4の勝敗はライオンズ4勝、1:3、3:3など一方が3の勝敗はベイス ターズ4勝となりますので架空のものを表すということになります。  この勝敗確率の計算は、試合前の、勝敗の一方が4の最終結果を表す確率計算 と同じように考え計算すると上右のようになる。2試合目の勝敗が分かり第3試 合がはじまる前の計算も同様にすれば良い。 4.力量差がある場合と試合毎に差を勘案しなければならない場合の確率計算 明らかに技量に差があって、一方が優勢で、各試合に勝つ確率が3/5であるこ とを誰もが認めるとしたときの計算は下左のようになる(一部)。また怪我人が 出てしまったり、選手起用のミスなどのため試合毎に差を考慮しなければならな い場合(下右)もある。          1                   1        2/5  3/5 2/5  3/5     4 /25 12/25 9/25             6 /25 13/25 6/25                   ・  ・ 54/125 ・ ・  ・  ・ ・      ・  ・  ・  ・ ・ ・  ・  ・  ・ ・      ・  ・  ・ ・          ・  ・  ・   1 試合目は左と同じく、2/5:3/5         ・  ・         であったが第2試合前に主要選手が          ・           怪我で形勢逆転3/5:2/5とした場合           の確率計算の例。 この「プロ野球日本シリーズを『数学する』」の主たる目的は、高校教材・確 率分野の一部を教えるための教材ではあるが、確率との関連を除けば、随所に分 数計算が出てくる。パスカルの三角形を機械的に適用していれば良い段階(力量 差がある場合の計算の前まで)では分数計算を意識する必要はないが、それを過 ぎると機械的適用の方がむしろ難しく、排反事象の確率計算の理解とその分数計 算の方が容易になる。
(夜間)高校生たちにありがちな、「高校に来てまで何で算数なんか勉強せん なんねん」という反発もなく、意識することなく分数再入門に取組む。
2】数学(教育)観の転換を伴った改革論議・学力回復を
本稿今後のため、つぎの引用で「数学の学力」という概念規定をしておこう。
「数学を知っているとは、数学をすることができるという意味。つまり、数学 的言語をかなり流暢に使うこと、問題をやること、議論の仕方を批判すること、 証明を見つけること、そしてこれが最も重要な活動と思われますが、与えられた 具体的場面のなかに数学的概念を認めること、あるいは具体的場面から数学的概 念を抜き出すこと。こうしたことができるという意味です。」 アメリカ数学教育現代化運動批判 ポリア他75名
  私は、数学を使う職業についていた30余年前の実学体験から、いわゆる「落ち こぼれされてきた」生徒を二つの意味で捉えてきた。ひとつは、上記引用に言う、 「数学的言語を流暢に使う」、「問題をやる」等から落ちこぼされた、巷間言わ れるところの「低学力」の生徒。もうひとつは、様々な入試はクリアしてきたと いう意味では「低学力」とは呼ばれないが、「議論の仕方を批判する」、「最も 重要な活動と思われる」といわれている場面で「落ちこぼされてきた」意味での 「低学力」です。  私のいう二つの「低学力」を、数学者ヒンチンは数学教育における伝統的欠点 と言い、内容豊かな数学の諸概念や諸法則性との結びつきの欠如した形式主義と、 実際との分離と数学的に位置づけていた。そしてこの数学教育における形式主義 が、いわゆる「できない」生徒を大量に生み出す一方で、形式主義的にはできて も、内容豊かな数学的事実との結びつきの欠如や実際との分離という弱点をもつ 「できる」という子どもを生み出してきたのであった。そして、この二つの「低 学力」を生んできたのは、ほかならぬ、「みんなの数学は、誰の役にも立たない 数学!」、「このままでは日本に優れた数学者が出なくなる」というような、国 のための数学研究や、数学者を産み出すための選別的な英才教育を主張して憚ら ない教課審数学委員が主導する現在主流の差別・選別を是認する数学(教育)観 と、その観のもとで育てられ再生産されてきた私たち教師の行う数学教育だった のです。
 数学の教育が立ち向かわねばならない主題は、冒頭引用のカタストロフ理論を 創造したルネ・トムの言うように、内容豊かな数学的事実との結びつきを欠いた 形式主義的数学や、実際と分離した数学ではなく、総体としての数学を、学習す るすべての生徒を対象に教えることの模索であるべきであると私は考える。 「そんなことが果たして可能なのか?」と疑われるだろうが、その工夫の一例 が、3】の「オリエンテーリングを『数学する』」から、冒頭の「プロ野球日本 シリーズを『数学する』」を経て、スーパーマーケットマーケッティングに到る 一連の数学でした。そこで意図したことは、本稿テーマであり、ポリア他75名の 数学者たちが、「最も重要な活動と思われる」と言った、具体的な問題から数学 に抽象し、翻って諸問題を解決する、という、具象と抽象の間を行き来する数学 学習の展開でした。「今まで小中高と学んできた何の役にも立たないと思ってい た数学が、現実に即しているものなのだと今ごろになって実感できた」(大学生)、 「今まで受けた数学の授業のように教科書を進んでいくものではなく、まず世間 話から関連づけ、いつの間にか数学の授業に入っていて理解しやすい」(夜間高 校生)、「数学を別の形から見つめることができました。数学は見方を変えれば、 日常にころがっていることを学んでいるのだということが分かりました」(大学 生)等々、こうした数学の体験がそれまで少なかったがために、高校生、大学生 いずれにも「こころにひびく」ものになったのであり、このような数学学習では、 数学知識を前提とする、俗に言われる基礎学力不足の問題はとるに足らない枝葉 のことである。  こうした実践は、4】で述べる多くの数学者が模索してきた数学(教育)観に 学びかつ学ぶ者への信頼に立った教材づくりを行えばけっして不可能ではない、 と私は考える。学ぶ者への信頼とは、「知識の微量な増加から得られる効用(満 足度)は、それ以前にその人が保有していた知識量に反比例する」という、人誰 もが、自分に欠けているものを補ってくれるものに対しては、程度の差はあって も、必ずや興味・関心を示すもであり、補えることが実現されれば、それぞれに 応じて満足感を持つ、という楽観的な立場に立つことである。学ぶ者共通に、あ るいはその多勢が持つ弱点をカバーするような教材づくりによって、例外はある にしても、ほぼ個々人に到るまで満足感や達成感を与えることができることだろ う。
3】街中オリエンテーリングを「数学する」
 「そんな馬鹿なことは絶対無い。人間には感情があり、買いたい物や人との付 き合いで右へ行ったり左へ行ったりするのだからルールそのものがおかしい」と 下記街中オリエンテーリング(以下、オリエンテーリング)の数学ルールを批判 し、「だから数学は役に立たないんだ」と毒ずくのは夜間部生徒。
【問題1】(街並みの立体地図を前に)碁盤目状の道路に特徴のある京都で、次    のルールでオリエンテーリングする40名のクラス旅行を計画した。   (1) 各交差点では無作為に右か左の路へ行く   (2) 地図の下方に向かい、逆行することはしない   このオリエンテーリングに先立って、4段目の各交差点を通過する人数を前も って予想してほしい。  ここで無作為ということを理解してもらうために、「友達あるいは好きな人が 行ったから自分も行く」とか、「見たい店があったからそちらに行く」という作 為的なことの例を挙げ、生徒に「こういう作為的でないようにするにはどうすれ ばいい?」と尋ねると、「サイコロを投げて偶数か、奇数かで決める」「靴を投 げ、その裏表で決める」等の意見の末、「コインを投げ、表裏で右か、左かを決 める」のが一番良いということになった。
 これが前記夜間部生徒の「数学批判」の原因でした。  しかしこの批判も、碁盤目状の通路のスーパーマーケットに出向き、客の流れ をカウントする中で、「なんで人間の動きがこんなに計算通りになるんや」とい う数学に対する驚きに変わることになります(後述)。

1.紙と鉛筆で街中オリエンテーリング
 京都の町並みの立体地図から平面地図に、さらに平面地図からも不要なものを 捨てて(捨象)、碁盤目状の道路網だけを抽出すると「格子」状になる(抽象)。 これをモデルにすると、オリエンテーリングを街中で実際に行わなくてもつぎの ように紙上でシミュレート(模擬実験)できる。
 交差点Oをスタートに O 1枚のコインを投げて、      ・
表なら右へ進み、裏なら        ・  ・
左へ進む。このとき表を        ・  ・  ・
1、裏を0としてその表     ・  ・  ・  ・
裏の出方を詳しく記録さ    J K  L  M  N
せる(コード化)。二人の
生徒の20交差点を通過したコイン投げの記録は次の通り。
生徒a 00100001011101100010
生徒b 11001011110011010110
次に、この記録データから予想人数欄を記入させるが、記録データをどう読みこ
なすかで予測の当たり外れにつながる。下の予測は見事な程当たっているが、こ
んな予測をこの生徒はどうしてできたのか、というと、例えば、0や1が4つ続
くことは滅多にないのでJ、Nの交差点を通る人数は少ない。4つ刻み(4段目の
交差点を通る人数を調べるので)でデータを見ると3:1あるいは1:3が多
く、それはK、Mを通る。2:2はL交差点だけを通るので一番多い等々の判断が
働いているのである。 
出発してから4段目の交差点のどこを通るかは4番目までの数値で通る道順を
辿ると、生徒aは交差点Lを、生徒bは交差点Kを通ることが分かる。最後に、全
員の記録データを集計し各交差点を通る人数を出す。ここで各自の予想の当否が
分かることになる。
38名1クラス分の集計と、ある生徒の予測例(39名クラス)は次の通り。
  全体集計   (1) (11) (13) (11) (2)
  予測人数   (2) ( 9 ) (15) (10) (3 )

2.オリエンテーリングからパスカルの三角形へ
 オリエンテーリングの紙上シミュレートは以下のように考えると、格子上での
オリエンテーリングすら行わなくてもできる。
 まず、京都駅に降り立ち駅前の交差点Oに行く路は1つしかないので、選択の
余地なく1通り。はじめの交差点Oからは2つの路のどちらかを選ばなければな
らなくなり、左手の路に入るか、右手の路に入るかのどちらかで、それらの可能
性を1、1と書く。つぎの交差点C、D、Eに来ると、これまで左の路を選んだ
者だけが
左の路に、これまで右         O
の路を選んだ者だけが         A  B
右の路に入ることがで       C  D  E
き、その可能性はそれ     F G  H   I 
ぞれ1。交差点 Dに入   J K  L  M  N 
るには2つの可能性が
あり、最初に左を選んだ人が今度は右と選ぶか、あるいは最初に右を選んだ人が
今度は左を選ぶかの2つだから、
この交差点での可能性を 1 スタート
1、2、1と書く。この 1 1 1段目
数列は、交差点C、D、 1 2 1 2段目
Eに、それぞれ何種類の
道を通って到達できるかを示していると同時に、交差点を通る生徒の人数比も表
わす。また、この2段目の可能性の総数は、1+2+1=4=22と表わせるが、こ
れは道順の数を意味する。以下、同様に、4段目の交差点J、K、L、M、Nに
対するすべての可能性を数列で表わす。
 こうして、本稿冒頭のパスカルの三角形ができあがることになる。
数学Aの教科書では、はじめからパスカルの三角形ありき、あるいは二項係数
との関連づけだが、オリエンテーリングを通じて作り上げる過程を体験した生徒
たちはパスカルの三角形直前の「格子」を、【問題2】などの実際的・具体的な
問題や【問題3】【問題4】などの数学的な問題を、「『オリエンテーリング』
をはじめ、格子モデルを使った授業は、『数学』と認識することなく数学の学習
ができてしまう」(大学生)ツールとして駆使し、解決する。
【問題2】ここに子猫4匹がいる。そのオス・メスの分かれ方のいちばん多いの
はつぎのどれか。
     ア.全部同性 イ.3対1 ウ.2対2
        (マーチン・ガードナー「aha ! _ネコ家の人々_」より)
 この問題を、生徒たちは、「格子」をツールに、右へ行くのをオス、左へ行く
のをメスとして、オリエンテーリングの交差点J、K、L、M、Nを通る人数を
求めることと同じように解く。
この二つは、実験回数が4、確率の値が 0.5の二項分布によって説明できる
「実験」と言われる数学的に同型なもので、生徒の対処は当を得たものです。
また、4枚のコイン(4匹の子猫)の表裏(性別)に「モデル化」して、4枚の
コイン投げ
の実験にしてしまう。
【問題3】 二項式(x+y)を展開せよ。
パスカルの三角形は、「二項係数」として知られているが、「格子」では右へ
行くのをx、左へ行くのをyとすると下図左のxyの三角形ができ、右図の二項式
それぞれと対応して意味が分かります(例えば、次数は枝分かれを表す)。

      1     ・・・(x+y)0       x y    ・・・(x+y)1   x yx y  ・・・(x+y)2 x yx yx y ・・・(x+y)3 x yx yx yx y ・・・(x+y)4 二項式の展開式、例えば、(x+y)2=x2+2xy+y2    
なら2段目各交差点までの道順  
の数を意味する。ただし、2xyは             1
xyとyxの順をxyに統一。        x y
二項展開式の係数だけではなく、         x22xyy2 二項式とその展開式そのものが意 味をもって導かれることになる。 偶然にも、「オリエンテーリングを数学する」の実践元年である平成5年セン ター試験に出題されたのが次の問題でした(解説・解答は省略)。 【問題4】図のような格子状の道が与えられている。 点Pから点Qへ行く最短経路は全部で□通りである。このうちCを通る経 路は□通り、Dを通る経路は□通り、CまたはDを通る経路は□通りであ る。 点Pから出発して各分岐点(Pを含む)で1回硬貨を投げる。表が出れ ば右下の次の分岐点へ裏ならば左下の次の分岐点へ進むものとする。 8回硬貨を投げて進む場合を考える。 Cを通過する確率は□/□である。 Dを通過する確率は□/□である。 A,B,C,Dのいずれをも通らないでQに到達する確率は□/□である。 4】スーパーマーケットマーケッテング 「プロ野球日本シリーズを『数学する』」の確率計算、特に、力量差がある場 合あるいは故障者や選手起用などの状況変化で試合毎に差を考慮しなければなら ない場合を私のホームページで見た流通業者から、これを商品配置と客の流れの 分析に応用できないだろうか、という思いがけない相談が舞い込んできた。 「先生の『手づくり数学』というのを もう少し詳しく聞かせて」と。         スーパーマッケット内  私が街角オリエンテーリングからパス       における通路通過人数 カルの三角形に到る解説をすると、彼等       の数学計算 は頭の中で自分たちのビジネス、例えば、     入 口   スーパーマーケット内の客の流れに翻訳      100名 レジ  レジ する。そして、私が交差点を通る人数を    A50名  B50名 計算で出した値を見て、「(自分が長年の    C25名   D25名 経験から蓄えてきた、あるいは流通業界 で蓄えられてきた)ノウハウと違う」と言います。しかし、そこは実務家たち、 自分で下図スーパーマーケットの客の流れのデータを収集します。 下図のように格子状の店内配置をしているスーパーマーケット(SMという)は多 い。そして商品配置によって客を誘導(客導線という)している。入口は、毎日 の食卓を飾る葉物野菜に、果物、野菜、鍋材料、漬物と順に陳列し客の買気をそ そる。次いで、ハム・ソーセージなど肉類コーナー、その奥に、生魚・刺身など 魚類コーナーとL字型に客を店内奥に誘導する。さらに、味噌・納豆、バター・ チーズなどの乳製品にデザート、パンとU字型(符号E)に客を誘導する。客の入 り込まない店内の真ん中のあたり(符号F)には、客寄せの商品(パワー商品と いう)、例えば、1パック5円の卵を置いて客を集め、四方に散らし他の商品購 買を促進する工夫をしている。入口の裏側にあたる通路(符号B)やメイン通り の途中からそれる通路(符号D)は、客の通りが少ない予想から陶器や掃除用具 などの雑貨品を集め、通路を細くして入り難くしてある。            入 口      レジ  レジ  レジ  レジ ファーストレジ      葉 A 果雑 B   物   物貨   麺類                  パ   野    D                        ン   菜  C 果雑       物貨         玉 子 バ   野 F タ   菜   干雑              菓子類   漬   物貨 乳   物      E                     製   肉 類  肉 類 刺 身 鮮 魚 鮮 魚 味噌・納豆 品    入口から100人入るとすると、Aの方向へは68人、 Bの方向へは32人。店側 が客の通りが少ないと思って、細くしている(90cm)通路Dにいたっては、Aを 通って来た55%が入り、メイン通路(符号C 幅180cm)を通るのはわずか45 %であった。 この調査結果、商品陳列によって客誘導してきた店側の思惑が成功していると言 えるだろうか?彼等は、計算で出した人数と符号しているとの判断をしました。  また次図のように格子状でない店内配置をして客を誘導しているスーパーもあ る。例えば、野菜と果物のコーナーに入ったら、引き返すか、次のコーナーに行 く以外、途中でわき道から他のコーナーへ移れないようにしているような配置で ある。      果 物 入 口     出 口  葉 A 果雑 B レジ  レジ  レジ  レジ  レジ   物    物貨  雑 菓  生 C  漬雑 貨 子     玉 子  鮮   物貨   雑 菓           野    D    貨 子 麺類  乳製品  菜 野 菜       E F               鮮      鮮 肉      肉        魚      魚 類      類        鮮 魚鮮 魚   肉 類肉 類 単位制夜間定時制高校に転勤希望が叶った’97年4月からの私の実践は、授業人 数が少ないために、数学Aも数学 I も数学Bの生徒たちも総動員してパスカルの三 角形づくりから入り、スーパーの客の流れを計算し、その計算結果と事実を対照 させるべく、最後に、上図スーパーで、買い物ラッシュの16時から19時の間を 30分刻みで何日間も調査してデータを収集する、というものだった。毎日、30 分毎にほぼ100名の客が来る。「だから数学は役に立たないんだ」と毒ずいた夜 間部生徒にとってはこのデータすら大きな意味がある。 調査のために生徒たちは係数計を手に店内A、B、C、E、Fの各地点に着く。  入口を入った100名の客のほぼ80%がA点通過。A、B両地点のこの調査結果 は、このSMの店内配置は店側の客誘導の意図がかなり成功しているように見え る。ところが、野菜コーナー内Cを調べた生徒は驚く、「なんで人間がこんなに 計算通りに動くんや」と。そこでは商品が格子上に並べられ左廻りに客導線が作 られているが、客の流れは、商品配列は何のその、その流れは見事にパスカルの 三角形の計算に合致している(下図は一例)。また、B地点を調査する生徒から Aに入った客のうちほぼ10%がB地点に戻っていること。D地点を通った客は店の 思惑通り魚コーナーや肉コーナーに入っていないこと、等々。                       野菜コーナー内C     <ー客導線   入口      59名   |ーーーーー|52名   |     |       ーー       28名       ーー|         |28名          4】具象と抽象間を上り下りする数学思考の教育を  トムやポリヤたち、そしてヒンチンの引用で、転換しなければならない数学( 教育)像として私がどのようなものを指しているかはおおよそ想像できると思い ますが、引き続き、世界の数学者たちの、数学(教育)のあり方に鳴らし続けて きた警鐘を引用し、併せて私の数学(教育)観を概略紹介し本稿を終わりたい。  私の受けた小・中教育、実は、学力をつけるものではなかったと悪名高い生活 単元学習であった。工高機械科卒後、鉄道車両の設計・製図に携わる中でその破 綻を身をもって体験し大学工学部を志した。戦後日本の転機であった昭和30年代 後半である。  数学を実学として使う中で感じた、小学校以来、高校卒業までの12年間受け てきた数学教育への疑問・懐疑は、今でも鮮明に覚えている。要約すると  1) 数学以外の数理科学的な実際問題を数学で記述する必要が生じた時の数学   の応用の教育に十分でない  2) 数学的手段が十分でない、あるいはどのようにして数学的にアプローチし   てよいかわからない現象に対処する教育に十分でない という2点で、いずれも、今でも、学業を終え、数学を使う職業(教師は除く) に就く者誰もが遭遇するものと言って差し支えないでしょう。  現在、いわゆる数学の知的活動は、次のようなダイアグラムで図示されること が多い。   抽象化・数学化 現実の問題 →→ 数学問題・理論 ↓ ↓ 説明・予測 ↓ ↓ 解析・演繹 ↓ ↓ 現実解・検証 ←← 数学解・推論 解釈・具象化  古くはガリレイが感嘆の声をあげていた、「数学が次第に抽象的思考の領域に 入り込んでゆく様子はまことに印象的である。数学はその上で、具体的事実の分 析という重要な役割を果たすために、地上に戻って来る。・・・ここに、具体的 なものを攻略するための武器が極度に抽象的であるという、パラドックスがあ る。」(ホワイトヘッド)という数学活動です。 私のいう要約2は、このダイアグラムの「抽象化・数学化」の教育に十分でない ことを意味します。ポリア他75名の数学者たちが「最も重要な活動」と言ってい たものもその一部に含む。  現代数学に大きな足跡(原爆開発で悪評もあるが)を残したフォン・ノイマン は、
   或る数学的学問が経験的源泉から遠ざかるにつれて、ましてそれが『現   実』から生まれた想念の息吹を間接にしか受けない第2代、第3代のもの   になってくると、その周辺には重大な危険がまとわりつく。・・・・そし   て一度この段階に達すると、・・・その治療の方法は源泉に立ち返って・   ・・経験的想念を大なり小なり直接に再注入すること、これ以外にはない   ように思われる
と、抽象化、つまり、数学のための数学、への傾向に対し源泉に立ち帰る努力の 必要性を説いていました。数学活動のダイアグラムの、抽象化した数学的対象( 問題・理論)や、それから演繹し、さらに抽象を深めた推論なども、経験的事象 と対応させる「解釈」とか、新しい事象を予測する「検証」というような、新し い息吹を吹きかけ、蘇らせることをなんらかの形で体験させることが必要という ことである。  この数学形式を具体的事例に結びつけて考える「具象」化という思考過程、現 代流には「シミュレーション」である。数学者でこのシミュレーションを意識し て初めて系統化したのは、ほかならぬノイマンその人でした。今では、社会・自 然科学を問わず応用されている、「ゲームの理論と経済行動」に、ノイマン型と 呼ばれているコンピュータの開発と、そのシミュレータとしての利用がそれで す。  数学概念・方法の具象化の教育が十分でなかったこと、私のいう要約1です。 私は、この「抽象」化と、その逆の「具象」化という二つの移行を内容とする思 考を数学特有の抽象思考と考え、これを育むことを「抽象と具象間を上り下り」 する数学教育と呼んでいるわけです。その「要」にあたるもの、それが、さまざ まなシミュレータとしての教育モデル(下図のモデル・シェーマ・イメージ)です。        数    学    化           → 第1次抽象→→ 第2次抽象→   ↑   ↓   ↓ 経験的・実際的問題 ⇔ モデル・シェーマ・イメージ ⇔ 数学形式・問題    ↑    ↑ ↓ ← 第2次具象←← 第1次具象←       解 釈 ・ 翻  訳    この「シミュレーション・モデル方式の数学(教育)」を学んだ大学生は、「モ デルを使うことによって、教えられるというより自分で考えて学んでいく、自分 の工夫や努力によって分かった時の感激は忘れないものになる」と、その意図を 正しく汲んでくれている。また、「今まで抱いていた数学のイメージ、教科書や ノート等、紙の上だけに存在しているものと違って、もっと具体的で、実際に自 分の手で触れて動かすことによってより理解できる」(夜間高校生)、「驚くこ とに、今まで紙の上に存在していた文字・式が、操作できる具象としてある」( 大学生)と言われるように、一部から「手でつくり、手で学ぶ数学」とも命名さ れている。  数学教育改革に腐心し続け、「手と眼で学ぶ数学」など興味ある数学(教育) 論を展開したソーヤーは
  すべての悪の中で最大のものは、−教える内容がクラッシックだという ことではなくて−、棒暗記式の教え方にあった。    生徒が数学を学ぶときに最も大切なことは、独自の判断でものごとを考 える習慣だからである。それがクラッシックな数学であれ、モダーンな 数学であれ、どんな教材を教えるにしても、生徒達が納得できるような やり方、生徒自身で考え議論できるようなやり方で教えれば、この授業 は少なくとも生徒の数学的能力を鍛えることができる
と言っている。再び、トム、
生徒を受動的でなく、活動的な状態に置かなくてはならないし、また、 その決断力や独自の冒険心を発揮させて見なければならない。・・・・ この見地から、遊び的一面を持っている理論のみに教育的な価値がある
。 トムと同じカタストロフ理論のジーマンの学校数学への提言はもっと単刀直入で
  学校数学のあるべき姿としては、幾何学的直観、物理的直観、sense of   fun(オモシロサがわかること)がその基礎的成分であって、数学教師   の多くがことさらに強調する第4の成分、厳密さの感覚というのはひと   りでに育つだろう
と。  このような数学者たちの提案を受け入れ、私が高校生や大学生たちと行ってい る数学(教育)は、つぎのクラインの言うことを実行しているだけと言っても過 言でない。
  発見を教えることは決して簡単な仕事ではありません。それは学生に、   直観を使い、当て推量や試行錯誤、知った結果の一般化、知っている結   果との関連づけ、代数的な命題に幾何学的な意味をつけること、測定、   その他数多くの工夫をすることを求めます。・・・数学を作りあげる努   力している方が、洗練された定理や証明を学習することを求められると   きよりはずっと自信をもつものです。                           モーリス・クライン
 「直観を働かせ、数学をつくるのはあなた」と、それが学ぶ者をして、「数学 という文化からの子どもたちの疎外状態を『想像力』と『愉しみ』によって克服 させる。私の数学に対するイメージを変えた教材にはただ驚くばかりだ」、「と っつき難い数学が『遊び』で構成され、ごく自然にふれ、いつの間にか没頭して いた」と言わせるものになっているわけです。 これら数学者の主張は、何も数学(教育)分野に限ったことではない。絵画に関 してケネス・クラークが言うつぎのことは教育すべてに通用する箴言です。
  形式が優先すれば活力が失われ、いかに理想主義的な構築物といえども   土台として欠かせないはずの人間性が失われる。主観が優先しすぎれば、   精神の歯止めがなくなる。いずれの場合も、傑作が生まれる可能性は低   下する
数学(教育)の形式主義が余りにも突出していたに過ぎないのです。それを崩し  先達の足跡をたどろうとしてはならない。先達が求めようとしたものを求め よ と芭蕉のいうように数学(教育)の初心に帰す努力をしてきた私の工夫を学んだ 大学生の感想を引用して終わりにしよう。  「人を数学の前で立ちすくませてきた抽象性と一般性を特徴とする数学を、  人間性と調和させることのできる数学教育が可能であることを知った」、  「今まで隠されていた重要なことをやっと教えてもらうことができたみた  いでうれしい」 ------------------------------------------------------------- 備考:本稿は、実教出版「じっきょう数学資料No.38」の拙稿を増補した。また本
文中の大学生引用文は福井大学教育学部の1998年度拙講受講生のレポートによる。

参考文献 
1)W.ソーヤー「古典的でもなく、現代的でもなく、全体としての数学」1963年「現代数学への小道」岩波書店1968年所収
2) M.クライン「数学教育現代化の失敗−ジョニイはなぜたし算ができないか−」黎明書房1976年
3)A.サボー「数学的知識の歴史的成長」1974年「数学のあけぼの」紀伊国屋書店1976年所収   
4) R.トム「現代数学と通常の数学」「『現代』数学、それは教育的、哲学的誤りか?」ジョラン編「何のための数学か」東京図書1975年所収
5) R.ケイデッシュ「手づくりの数学」河出書房新社1978年
6)M.ガードナー「aha ! ひらめき思考」日本経済新聞社1979年
7)R.ニスペット「想像力の復権」ミネルヴァ書房1980年
8)拙論「教材の研究をどうすすめるか」柴田義松編「何をどう教えるか」有斐閣1982年所収
9)拙論「数学教材を手でつくり、手で学ぶスタイルに創りかえる」1975年稲垣忠宏編「日本の教師」第6巻ぎょうせい1995年所収
10)雑誌「数学セミナー」日本評論社1997年 月号
11)P.バーンスタイン「リスク−神々への反逆−」日本経済新聞社1998年