誰にでも発信を保証するWWW
ー私の実践を不本意に採用している教科書の編
集ひいては検定制度にクレームをつけるー
私は1975年、数学を苦手にする高校生たちとベキタイルという手で操作することを通じて代数計算に習熟する手づくり教育
モデルを作った。 その後、全国の多くの中学・高校教師が教室で実践するに及んで、今では、その一部が、下図のように、幾つかの中学校用教科書の因数分解x2+3x+2=(x+1)(x+2)・展開に、平方完成や2次方程式の解法の
説明に採用されている。また、教育学者から伝え聞くところによるとアメリカの教育学会発表や学会会報等々に、あたかも自分の創作の如く発表されているという。
この状況は日本でも同様で、そのような事例にはこと欠かない。
私のいうリサイクル精神からすると礼節を踏まえたものであれば大歓迎ですが、特に、教科書の採用の仕方は私の意に反したもので、上の図の単なる図示であったものを下図の二つと比較すれば分かるように、年を経るにしたがい 少しずつ扱いは改善されている
。しかしその本質は「仏作って魂入れず」の例え通りとしか言いようのないほどに私の本意から外れたもので、本意を語る機会を与えてくれるメディアをわずかしか持たない私にとってこれら、特に、アメリカの教師たちの盗作に対しては、私の実践と研究を紹介してくれる日本の学者たちの論稿に待つ以外は如何ともし難いものでした。
私が提起した手でつくり、手で学ぶ数学の本意は一言でいえば、学ぶ個々人が教育モデルを作る、あるいはそれに直感的に働きかけ、数学に至る、というもので、この主旨からすると、主として図示による説明に終始している教科書のそれは不本意と言わざるをえないわけです。
そのような私にとって、誰にでも発信者としての権利を保証するWWWは強力な助っ人、「百万の味方を得た」という形容がぴったりなものです。
大きなシェアを持ち不遜にも「できる子」「できない子」用の教科書をつくり差別・選別的な教育を助長する教科書会社やそれを良しとする文教政策に私が対等に批判を発信できるわけですから。
'96.6.12、猥褻な映像や情報を流すことを規制した「米通信品格法」
は言論・表現の自由の侵害だとして、米国の市民団体やオンライン通信業
者が求めていた裁判で、フィラデルフィアの連邦裁判所は合衆国憲法に違
反する恐れありとして、法律の施行を一時差し止める命令を下し、米政府
は最高裁に上告の方針を打ち出している。このケースに象徴されるように、
いずれ、インターネットの様々な分野に、「公共のため」という口実を設
けた規制の手が伸び、特にインターネットが未成熟な日本では、私のような私人が企業や政府・自治体と対等に発信することをも規制の対象にすることも考えられる。現に、某新聞社のフォーラムで「すそ野広がり、治安が問題、早急にルール作りを」と締めくくりの発言を行っている。どのようなシステムになろうが治安を脅かす人達はいる。そのような一握りの悪事を基準に規制を強めるのは「産湯を流して赤子も流してしまう」の好例で、政治や教育など、様々な分野で日本はこの失敗を幾度も犯してきている。これを決して許さないよう日本でのインターネット利用の成熟を期したいものです。