I ] 日本の教育課程編成原理としてのスパイラル方式の実態と欠陥

 日本の教育課程編成原理は、スパイラル方式だが、その一面である発達観重視に偏りすぎる傾向
のあることは指摘してきた。「積み上げが大切で、基礎が育っていなければ分らなくなるのは当然」
とする数学観や生物発達的限界説を唱え、いずれも学び手の責任にしたりする欠陥があり、その反
省も込め構成主義的スパイラル方式に移行しつつあるが、けっして十分でないことも指摘してきた。

 『教科・算数基礎』受講生の佐々木庸介君の、自分が学んだ啓林館教科書と照合した2年生の
『かけ算」指導にあたって「1あたり量」を教えないできたこと、乗除先行の原則を「きまり」で
押し付けてきたことが、「÷分数は逆数を掛ける」ことをきまりとして押し付けざるをえなくなっ
たことなどの一連の分析は、ご本人が気付いているかどうかわかりませんが、大変重要な事実を浮
き彫りにしました。

 それは啓林教科書のスパイラルなカリキュラムの構成の実態・問題点を浮き彫りにしたことです。
これまで構成主義的スパイラル方式については、短期的なプロセス(教育過程)・教材づくり中心
でしたが、以下では日本の教育課程編成原理としてのスパイラル方式の実態を見ることにします。

 「かけ算」の講義の時に「1あたり量×いくつ分」という「かけ算」の定義は
                       
      1変数の微積分 dy=f'(a)dy
「内包量×外延量」→ y=ax <       >多変数の微積分・ベクトル解析
       線形代数 Y=AX
              (Y、Xはベクトル、Aは行列)

と、正比例 y=ax を介して中・高・大の解析教材へ展開する解析学教程の要であることを言いま
した。そして、同じ啓林館教科書を使いながらも、「1あたり量」を教える石川県の教師の公開授
業のビデオを見てもらったわけです。

 佐々木君の当時の啓林教科書と照合した2本のレポの『かけ算」指導にあたって「1あたり量」
を教えず、累加で教える。「わり算」における「きまり」で教える乗除先行の原則と量抜き・数操
作のみによる「÷分数は逆数を掛ける」「きまり」という指導は、はしなくも、何が「基礎」になっ
ていて、どの教材がその全教材にとって「基本」なのかを定かにできていない構成になっていると
いうことを示したもの。
 
このことは、実は、今も昔と変わらず、今はやりの「基礎・基本」とは実体定かでない「いずれ
は役に立つ」、あるいは「今後の展開で必要な下部概念に位置する」程度にしか捉えられていない
と思われるが、上記指導要領準拠の教科書における解析教材の「1あたり量」についてはこの視点
すらない。このように基礎的な概念の指導が基礎的であるようには教えられていないことはとりも
なおさず教科書検定基準そのものの持つ問題である。
 
 こうした構造を分析・批判しているのは、須田勝彦(「中学校数学カリキュラム再構成への試み」
北大教育学部教育方法研究室『教授学の探求』第17号 2000.3)である。そこでは面積や割合、乗
法などを挙げているが、寺岡英男(福井大学教育地域科学部)は、日本科学者会議福井支部におけ
る講演『学力問題再考』において面積の扱いを次のように紹介している。

 たとえば前回学習指導要領では、4 年で「面積概念について理解し、簡単な場合について
 面積を求めることができるようにする」とある。「簡単な場合」とは正方形と長方形だけ
 で、教科書では「複雑な面積の求め方」として、長方形2 個に分割可能な形などが扱われ
 る。そして5 年で「基本的な平面図形の面積が計算で求められることの理解を深め、面積
 を求める能力を伸ばす」として、三角形、平行四辺形、台形などの面積の求め方を学ぶ。
 こうした扱いは現行学習指導要領になっても基本的には変ってはいない。

これに対置する須田たちのカリキュラム構想では、4 年生の面積指導の目標は「多角形の面積」
の完全理解におかれる。その構成は、(1) 2つの多角形の面積が等しいとは、二つの多角形が有限
個の互いに合同な図形に分割できる(「たちあわせ」の原理)、(2) 任意の長方形は、任意の長さ
を一辺とする長方形にたちあわせることができる、(3) 三角形は長方形にたちあわせることができ
る、(4) 任意の多角形は三角形に分割可能だから、任意の長さを一辺とする長方形にたちあわせる
ことができる、(5) 多角形の面積は、長方形の面積論に帰着される、(6) 長方形の面積は複比例構
造をもつ、(7) したがって面積の単位は、長さの単位を一辺とする正方形を選ぶことが合理的であ
る、などの「基礎的な概念や原理・法則である」。

 学習指導要領と須田の違いは明瞭である。学習指導要領では簡単な場合からより複雑な面積の求
め方へと段階的に積み上げていく方法が採られている。多角形の面積の「完全な理解」はいつまで
も実現されない。4 年生では長方形、正方形の面積測度の求め方だけが指導される。なぜ長方形や
正方形について考えるのかは示されない。5年生では、平行四辺形と三角形だけが「たちあわせ」
の対象となり、面積の「公式」が示される。台形は考えない。まして多角形の面積など考えない」。
スパイラルなカリキュラムの構成という実態はこの程度のものである。図形の面積という同一のジャ
ンルに括られる教材が、4年・5年と分散して配列されているだけで、そうした教材が担っている教
育内容(たちあわせの原理をふまえて「多角形の面積は、長方形の面積論に帰着される」というこ
と)が、新しい別の内容のなかで、新たな概念との新しい関係を成立たせたり、新しいはたらきを
示したりするわけではない。

 一方、須田の場合には、典型的な実例からの一挙の一般化と、それを有効に適用する応用という、
一般から特殊へという水道方式と同じカリキュラムの構成原理がもとになっている。面積の場合、
「たちあわせ」の原理が多角形の面積の「完全な理解」を実現するための武器となる。このような
多角形の面積は、次に曲線に囲まれた図形の面積へ、さらには多角形の体積と多角形の面積との異
同、一般的な面積や体積とは何かという、より高次の課題への飛躍が用意される。須田はいう、
「基礎的な概念や原理・法則は基礎的であることによって、自ら螺旋的にくりかえし、発展するが、
恣意的にバラバラに分散することはそのよさのすべてを破壊する」と。