数学教育協議会全国大会 '04.8.3〜5(岐阜・高山)

改悪・教員免許法下における算数・数学教師教育を放置して良いのか?!

〜交流会への参加要請・'05年広島大会「教師教育分科会」設置に向けて〜
山岸 昭則(石 川)
    配信させていただく皆さま へ  本メールは、表題「『大学における数学教師教育』を語り合う交流会への参加要請」の趣旨から佐分 利さんとご相談の上、『数学教育論』研究会のメーリングリストを利用させていただき、私の知人を加 え九州から沖縄の23名の方々にBcc配信させていただきました。また、来る8月3〜5日に開催される 数学教育教育協議会の高山大会に参加されない方(会員・非会員を問わず)にも配信させていただきま したがご容赦ください。                         山岸 昭則(石 川)                                                                                                                                                       数学教育協議会全国大会 '04.8.3〜5(岐阜・高山) 改悪・教員免許法下における算数・数学教師教育を放置して良いのか?!       〜「教師教育」交流会への参加要請〜 1) 5年前改悪された『教員免許法』教師教育の実態を見る  話が見えやすいので中学校・高校の「数学教員免許状」取得を例にとる。 特徴1:中学校・高校の「数学教員免許状」取得が著しく容易に  <改悪前の専門科目としての免許取得の条件>  |<改悪後の専門科目としての免許取得の条件> 代数学・幾何学・解析学、それぞれ年間を通して4 |     各1単位以上。 単位以上、確率論・統計学、コンピュータが各2単 | 位以上。                    |                合計40単位以上 |               合計20単位    特徴2:教科書の内容削減と連動(微分方程式を例に)   私は、自然・社会現象の変化を時間の経過とともに見るのに欠かせない微分方程式は数学を専門と  するなら理解しておくべきことと考えるが、これを知らない高校教師が多く誕生する。   これは、94年度高校教科書から「微分方程式」が削除されたことからの影響大。 特徴3:大学入試に不必要な科目を学ばない学生増大   大学入試科目の削減傾向を踏まえると、高校の数学IIIや数学 Cといった内容をあまり理解していな   い高校数学教師の誕生増大が予想される。 2) 行くつき先は「不適格教師」増大と教師に自主編成させない環境づくり 以上は、一般的な改悪免許法批判でしよう。  私もこうした教育施策の行き着く先は、「不適格教師」と騒ぐ教師を拡大生産する仕組みではない か。これ以上の問題だと感ずるのは、このような状況づくりが、学者でない現場教師は「与えられた教 科書を教えていれば良い」という行政的思惑が見え隠れすると見るのは私のうがち過ぎでしょうか。一 昨年7月、算数指導に「専科担任制」導入をして中学・高校の数学教師が算数の指導をできるようにし た。このことも「専門重視」と喜ぶだけでなく、私のうがった視点から見ておくことも必要ではないか と考えている。 さらに私は、免許状取得が「容易く」なったことを批判するものではありません。なぜなら、問題は 下記3)に書くように、どのような教師教育内容が保証されるかにかかっていると考えるからです。ま た、国大協が入試で入試科目を大幅に増やしましたが、入試をなくして「入りたい者に大学の門を開く」 世界の潮流からすると評価できることでないと考えます。 3) 大学教育における「数学教員養成」において私が考えているいくつかの問題点(課題) (1)第一に掲げる問題点は、「専門としての数学」各分野の教育は、果たして「数学教育」に役立つ (有効な)ように構成されているのかということ。教育的に咀嚼されていない、あるいは『数学教育論』 的もしくは教授学的に問題があるにも関わらず、理解できないことを学生たちの一方的責任にしている、 と見る方が生産的だと私は考えます。  このことは、何も教員養成だけの問題ではなく数学者養成についても関係することでしょう。 (2)「専門としての数学」を「教え=学び」さえしていれば数学教育は事足れりとはせず、「専門と しての数学」の研究と「教育としての数学」の研究には、それぞれ固有の領域が存在することを理解し、 数学研究者と数学教員のそれぞれを養成するに有効な「数学教育論」を模索すること。 (3)難問は、かって物理や工学の言語としてのみ考えられていた数学は、現代においては銀行業務や 社会科学その他の言語として多様な役割を果たしています。これに見合った数学教育の「現代化」の方 向を明らかにすること。旧態然とした幾何・算術を基本として教えるべきとする守旧的な数学教育でな く、現代の数学が果たしている役割に見合った教えるべき基本(現代的な数学概念・方法)を明らかに する「現代化」作業をしなくては物理時間的に少ない教育期間にその知識・能力はつけられない。こう した意味の現代的な数学概念・方法を短い教育期間内で習得させる「教え=学び」の過程を明らかにす ること。 (4)数学「教育論」を模索しつつ、それに則って数学研究者や数学教員養成の教育を行い「教育論」 構築に反映すること。当面は、いわゆる「研究と教育は別」、もしくは偉大な研究者が良き教育者とは 限らないと表現されてきた「科学としての数学」の研究者が抱いているであろうと思われる「教育とし ての数学」の研究の軽視・蔑視。この非生産的な軽視・蔑視から早く脱し、「数学教育」固有の内実 (数学教育論)を明らかにし数学教員養成に生かすこと。 (5)そして最大の難問は、こうした(1)〜(4)の取り組みを通じてつぎの課題を達成すること。 これまでの数学教育は、「国や産業界のため」に科学・技術の「後追い」に汲々とさせられてきた。こ れを「学ぶ側の“学び”」の視座に立ってそれ固有の内容と方法をより豊かにすること。