手は人を育て、集団をも育てる
 コンピュータとマスメディアが日常の生活と教育に入り込んでくるハイテク環境のいま、数学教育に携わる私の時代認識は、学校教育は無論のこと、生涯学習を喧伝する現代社会の「学び」には、これまで以上に、個々人が行う、実験的・発見的模索や直観的把握を伴うリアリティ溢れるローテクの環境の中で育まれることこそ必要であると考えています。
 そこで私の数学教育の基本姿勢は、身近で作ったり、容易くやってみたり、弄ぶことができる、折り紙をはじめとする、ファミリアな、図的もしくは物的具体を媒介に、「手づくり」数学として展開してきました。ローテクの典型である折り紙は言うに及ばず、ハイテク機器の典型であるコンピュータ支援による数学教育までをも、数学の実在の体感を伴い、交歓と呼ぶに相応しい「教え合い」を伴うよう、身近かなメディアを媒介に数学の「ハンドメ」(Hand Making Mathematics)、ローテク化を模索・実践してきました。
   さて、「手づくり」数学とか「手で学ぶ」数学などというと、鉛筆を使う普通の勉強も手を使っているので、手づくり数学などというのは形容矛盾ではないかと思う向きもあるでしょう。
 私が最初に考案した手づくり数学の教育モデルーベキタイルーによる実践に接した各層の学ぶ人たちの感想から私が感じたことを次にまとめます。皆さんも、リンク先の寸法を参考に厚紙でベキタイルを作って実際動かして見てください。きっと同じように実感することでしょう。
   第1に、「考える」ということは何によって得られるか、ということに対する答えです。
 それは、勿論、自らが、真剣になって考えるという経験を積み重ねる以外にないものですが、それには、他では得られない、自分自身の工夫と努力によって分かったときの感激がバネになること、そしてその状況を創るのが「ファミリアで、リアリティのある」モデルから数学に自ら遊ぶということが有用であったということです。
 そして、この、学びにおける主体的・能動的な個人的関与の重要性は、 科学が抱えているつぎのような現代的な課題と符合し、この課題への教育 現場からの回答の一つでもあるということです。
 主観を排し、客観的な知を確立するのを科学の目的、とする従来の科学 論と知識論に対し、物理化学者にして哲学者のマイ ケル・ポラニーは、科学の超然性という客観主義的で非個人的な理想 は有害極まる誤謬の源ともなる、と理解の行為における知る人の個人的関 与に注意を払うような理想を対置させた(ポラニー関連後述有)。
 第2は、「把握」という言葉の持つ二つの意味、「手でものをつかむ」 ということと「しっかり理解する」ということの二つが密接不可分なこと への確信である。
 私の実践の意図の一つに、教育モデルに動作や行動を知的に適用し、数 学の論理に導き、そうして獲得した数学の諸形式を具体的事象の解析に適 用する能力を育もうというものがありますが、これは心理学者が「両者の 結びつきからあらゆる人間知能の進歩が生まれる」という、具体的事物に 抽象概念を適用することを特徴とする論理的知能と、実用的知能とも感覚 運動的知能とも呼ばれる、外界の事物に動作や行動を知的に適用するのを 特徴とする工作人的知能という二つの知能の相互扶助の関係を「学び」と 結びつける計画の一環でした。これがおおむね成功しています。
 そして最後に、次の公開授業の様子から見られるように、人間が最初に 手にした道具である「手」、この「手」の使用による知識獲得に繋がる経 験の能動的形成あるいは統合する活動が、それを使う人も、学ぶ集団をも 育てるということへの確信です。

授業研究のご案内
                 石川県立松任農業高等学校数学科
  年末の慌ただしい時期になりましたが、標記の件につきまして、下  記要領で実施致しますので、ここにご案内致します。
  本校では、学科の特性に応じて「数学I」終了後、「数学II」「基  礎解析」「確率・統計」を選択させています。本授業研究では、「確  率・統計」を選択させている食品製造科3年生の製造した「梅ジャム」  缶を母集団として統計的判断について学習させようというものです。
  授業者は食品製造科3年を担当するにあたって、生徒たちが製造し  たクッキーやジャムのデータを対象に「身近なデータによる推測統計  を」という意図をもって実践してきました。本授業研究では、生徒自  らが製造した製品を対象に「推定と検定」の総仕上げを意図していま  す。
  意図通りに成功するかどうか分からない、ぶっつけ本番ですが興味  のある方は共同研究にご参加下さい。
   日 時 1985年12月4日(水)9時45分より
   場 所 石川県松任市三浦町 松任農業高校内食品加工室
   授業者 本校数学科教諭 山岸 昭則
   日 程 2時限(約90分)を使って、ランダムサンプリング        から母平均の推定並びに検定までを行わせる予定です。    終了後、本授業以前のプランの報告と座談会を予定し ています。
本時の目標  ごく一般的な例題や問題をはじめとして、全般的に規格化されてい る教科書内容を、本校の生徒たちが作った製品のデータを利用したり、 従来から実践してきた「ゲームと実験で学ぶ確率」の発想を継承した 「身近なデータによる推測統計」の実践を模索してきた。
 本時は、これまでのデータが既に自分たちで計量したものであった のを、自分たちが「1缶 280gとして製品化した梅ジャム」からラン ダムサンプリングし、計量し、各自が異なるサンプルの平均値、標準 偏差を計算し、1缶 280gとして製品化したことを「仮説」として、 これを検定させ、母平均の推定をさせる。
 この一連の作業を通して、自分たちの製品の「量目不足」「量目過 多」について考察させ、「仮説の真偽ということ」「判断の誤りとい うこと」「品質管理」などについて押さえる。
導 入 課題の提示 展 開 1.電卓によるランダムサンプリング      2.各自サンプルの重さの測定     3.電卓によるサンプル平均、サンプル標準偏差の計算     4.危険率5%による母平均の検定     5.平均の重さを信頼度95%で推定     6.「量目不足」か「量目過多」かー消費者の立場から、商 売人の立場からー      7.計算結果の一覧表づくり      8.「仮説の真偽」「判断の誤り」について
 この授業の様子を語った次のような参加教師の感想文が残っている。
 「・・・・研究授業の教室に入ると、多数の缶詰と秤が置いてある。 ・・・導入では、身近なデータを用いることによって、生徒は教科書のよ うなよそよそしい例題と違って、違和感を持たずに学習に溶けこんで行く。 ・・・・・生徒たちの作った製品・・・のデータを用いて検定・推定して 行く。生徒たちは、複雑な計算を面白いように電卓を使ってこなして行く。 導入は生活から、そして、操作活動が取り入れられて、誰もが授業に参加 している。サンプルを一つ一つ捜し出して量っている様子は生き生きして いる。」
 この確率・統計の授業を一年間受けた生徒は次のような感想を残してい る。
「1年間、確率・統計の授業をしてきて、ごく普通の勉強と違って、とて もみんなで楽しくやってこられたと思います。・・・・初めはとても難し そうで、1年間、この科目をやっていく自信がなかったけど、(ゲームや 実験から得られた:筆者)自分たちのデータや、(自作した:筆者)クッ キーのデータなどをもとにして、自分たちで実際にやったことがとてもた めになりました。本当にこれは、自分たちで実際にやってみなければ絶対 にわからなかったと思います。・・・・みんなと一緒に協力して授業がで きるということは、とても素晴らしいことだとこの授業を1年間学んでき てわかりました。」(農高食品製造科)
 こうした授業は実業高校しかできないというわけではない。この後に転 勤した普通科女子高校では、生徒たちの作った製品を利用することはでき なかったものの、文化祭の飾り付けに使うテープカットを製品替わりに同 じ実践をしてきた。そして生徒の感想は次の通りである。
 「はじめに確率と聞いたときは、(中学校の苦い経験から:筆者)『ま たか』と思った。しかし、50分の時間が30分にも20分にも感じられ る授業でその考えは変わった。サイコロや爪楊枝投げの実験、そしてゲー ムなど、いろいろなものにふれ、これが数学の楽しさだなと思った。・・・ ゲームをしたり、自分で問題を創ったり、ただ数とにらめっこだけでない こういう授業で数学をやってゆきたい・・・」
 M・ポラニーが提唱する暗黙知・個人的知識の理論は、従来の知識論や 科学論の最も基本的な前提に衝撃を与えるものであったが、このことは 「科学と教育の結合」をめざし、研究を進めてきた従来の教育研究にも深 刻な問題提起であった。なぜなら、これまでの教育研究は、結局のところ、 従来の知識論・科学論との符合を求め、教育に科学の後追いをさせる結果 を招いていたからである。
 私の手づくり数学が、多くの生徒や数学再入門を志す人達に、数学との 新鮮な「出会い」となったのも、従来の数学教育の最も基本的な前提に衝 撃を与える数学観を与えたことにあるからにほかならない。

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